かずたまりん通信

元中学校教師の独り言。今だから言えることもあるんです。

前途多難の特別支援教育 その3 ~自閉症?アスペルガー?ADHD?LD?~

 

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 知的障害の特別支援学級を担任して3年。何とか無事に生徒を卒業(個別指導の成果で、普通高校に進学🙌)させ、ホッとしたのも束の間、今度は情緒障害の特別支援学級を任された。まぁ、3年前に研修受けてるから大丈夫なのかな?とか呑気に引き受けたのが大間違いだった。まだまだ全然分かっていなかった。

初めて特別支援学級の担任をする場合、全員が研修を受けなければならない。それは分かっていたが、種別が変わるとまた一から研修を受けるとは知らなかった。

ガーン!!また、一から勉強し直しである。(知っていたら引き受けなかったよ…😿)

情緒障害と言ってもいろいろある。自閉症アスペルガーADHD等の言葉が目白押しで、またしても頭の中が大混乱。研修会やら協議会やらに参加していても分かったような分からないような情けない状態だった。でも、ふと思い返してみると、あそこにいた全員が全部理解していたとはどうしても思えない。絶対分かったようなフリをしていた人が私以外にもいたはずだ。そう、先生という人たちは分かったような顔をするのが上手。まぁ、これは私の偏見だが…。なにせ、私も分かったようなフリしてたからね。

ただ、情緒障害だと言われていろいろな診断名がついたところで、一人として同じ症例?の子供たちはいないっていうのだけは理解した。例えばアスペルガーと言われる子供たちが100人いたら100通りのパターンがあり、全員一律に効果のある支援はなってことだけはよく分かった。同時に、普通のクラスにもそれは当てはまるよなぁと思っていた。極端に言えば、普通の子供なんていない。それぞれに必要とする支援や指導が違うのだ。これを学べただけで、特別支援情緒障害学級を担任したことは良かったんだと思っていた。しかし、うっかり引き受けてしまったこの支援学級担任を抜け出すのに、実に6年もかかってしまった。長かった。

さて、普通のクラスの担任になった私は生徒に対する考え方が変化していた。それは、何か指示を出すときの「これくらい分かるだろう」という大人目線の話し方をやめたことである。かっこよく言えばユニバーサルデザイン*1を意識していたわけだ。これは特別支援の中で身に付けた技であり、普通クラスの授業でも使っていたが、それをクラス運営にも活用できたのは本当に良かったと思う。

でも、6年はやっぱり本当に長かった。次にやってくれる人がいなかったのである。なかなか引き受け手がいないこともあるし、その根本には教師の中にある間違った考え方にもある。特別支援学級担任をどこか軽んじている言動の教師の存在だ。全く情けない人たちだが、そういう人たちができない経験をしたことは強みになったし、そういう人たちが哀れにしか見えなかった。できるなら、「全教師が一生に一度は特別支援学級担任をやるような制度があればもっと理解が進むのにな」と思うが、適性のない教師に受け持たれる子供たちが可哀想なのでそれは無理かな?!とも感じた次第である。

この春から特別支援学級で勉強している子供を持つ人もこれを読んでくれているといいなと思う。普通の小中学校の特別支援学級の担任は学校の事情でこの役割になった先生が多いことをどうか少しでも理解して欲しい。初めての先生が多いことも分かって上げて欲しい。もちろん研修を積んで勉強はしていくけれど、あんまり多くを一度に望み過ぎるとパンクしちゃうからね。支援学級は子供と先生が一緒に大きく成長できる場。長い目で見てあげてね。

この春から特別支援学級担任を任された先生方、毎日が勉強の連続で大変だよね。でも、この経験は絶対役立つ日が来るから、そして必ずそれを理解してくれる人もいるから自分が壊れないようにバランスとりながら頑張ってね。

大変な毎日の特別支援学級担任生活の6年間だったけれど、それでも私、基本的に定時で帰るスタイルは維持してたよ( ´∀` )。その技はまた今度👋。

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*1:障害の有無や能力差などを問わずに誰でも利用できることを意識した設備・製品・情報等の設計のこと